国語科教育関係の講義で、ふいに先生が思想的な話題を持ち出した。
仮にA先生としよう。
A先生は、会津若松の出身だ。
会津若松の人間は、戊辰戦争における長州藩への恨みを忘れることはないという。
なお、戊辰戦争では、会津藩が旧幕府軍、長州藩が新政府軍である。
長州藩は会津藩に対して、婦女暴行レベルはもちろんのこと、
戦で殺した後にその肝臓を焼いて喰らうということまでしていたそうだ。
死してなお辱めを受けていた会津藩士・・・。
ともあれ、戊辰戦争後も、長州藩は会津藩に対して「
朝敵風情」と蔑み、見下していたという。
昭和61(1986)年に、山口県萩市が福島県会津若松市に対して、
「もう120年も経ったのだから」と友好都市締結を申し入れたが、
会津若松市側は
「まだ120年しか経っていない」とこれを拒絶したそうだ。
100年やそこらでは、人の恨みは晴れないらしい。
ここから、首相の靖国参拝の話に転じた。
現在の福田首相では問題にならないかもしれないが、
小泉首相・安倍首相のころはよく問題にされていた。
A先生曰く「首相が靖国参拝などもっての外だ」と。
「植民地化して言語政策もしいたアジアの国々が不満を持つのも当然だ」と。
ここでの「アジア」がどの程度の範囲かは授業中なので追求しなかったが、
私が思うに「
特定アジア」だろう。
あえてA先生はぼかした表現を用いたのではないだろうか。
確かに、日本国は韓国を植民地化し、言語政策もしいた。
しかしそれは、少なくとも「搾取」ではなかった。
当時、極めて貧困な土地であった韓国からは、搾取できるものなど何もなかった。
では、なぜ日本国は日韓併合に踏み切ったか。
中国・ロシアに対抗するための防波堤としてである。
「防波堤」というと聞こえが悪いが、ともあれ、日本国の手によって韓国は飛躍的に発展した。
糞尿と汚水にまみれたあばら屋だらけの首都ソウルを近代的なビルが立ち並ぶ都会にした。
これにより、町の衛生管理は飛躍的に高まった。
言語政策の傍ら、朝鮮全土に5000校に及ぶ小学校を建設し、
ハングルを必修科目とした。
これにより、庶民の識字能力は飛躍的に高まった。
1910〜1945の、ほんの数十年間で、韓国は「文明」を手に入れた。
さらに、他国への借金、国債を、日本国は全額負担した。
日本国はまさに
一国を築き上げるほどの貢献をしたのである。
その上、謝罪と賠償までしている。
詳細については以下↓のサイトを参照されたい。
http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea.html上記サイトの内容を話半分に聞いたとしても、
日本国が韓国に対して多大なる貢献をしたことには相違あるまい。
要するに「敗戦国日本にかつて救われた」ということが許せんのだろう。
このような内容は日本の教育では・・・
いや、韓国の教育でも教えられない。
台湾・フィリピン・パラオ等のアジアの国々が、
戦争を経てもなお親日的であることも教えられない。
・・・・・・
世の中、悲しいかな「
勝てば官軍」である。
だからこそ勝者は敗者を慮る気持ちを忘れてはならない。
長州藩に「朝敵風情」とののしられた会津藩は、恨みを持つのも頷ける。
しかしそれは、日韓の関係と同義であるとは思えない。
最後に。
A先生曰く「首相は靖国神社ではなく、千鳥ヶ淵や広島・長崎などへ行くべきだ」と。
なるほど、特定アジアとの確執は避けられるだろう。
米国との関係はどうなるか分からんが。
とりあえず軍人のみを奉っている施設というわけではないから、外交上の問題はさしてないだろう。
これで靖国の合祀問題も白紙に戻す・・・っと。うめぇwwwwww
まぁ、遺族会の方々の思惑もあるわけだから、単純には言えないんだがな・・・。
ともあれ、新たな方法を提案することは大事だ。
我々と方法こそ違えど、祖国の行く末を憂えているA先生もまた「
憂国の士」である。
・・・・・・
新たな方法を模索するのが左翼。
伝統的な方法を貫かんとするのが右翼。
祖国のために身を費やす気持ちに変わりはない。
そうあってほしいものだ。
↓関連記事(本記事の続き)↓ 会津藩と長州藩-戊辰戦争から西南戦争へ-
http://nationarcissism.blog104.fc2.com/blog-entry-106.html