Entries

「自己愛」と「国家愛」

鈴木邦男先生の『愛国者は信用できるか』を読み始めた。
いや…実は購入したのは1年前ぐらいなのだが、なんだかほとんど読んでいなかった。

「愛国者」「愛国心」とは何か?ということについて語られた本なのだが、そこに印象的な一節があった。

「自分を愛し、父母を愛し、子供や妻を愛し。学校を愛し、社会を愛し、町を愛し、市や県を愛し。その総体としての国を愛するのなら分かる。ところが、「自己愛」から一足飛びに「国家愛」になるのだ。これでは矛盾だし、論理の飛躍だ。」(鈴木2006)

…なるほどな…と感じた。
私もどうも「愛国」という言葉は好きでない。

いや、当初は好きな言葉でよく使っていたものだが、いつからか使わなくなった。
今では「国粋」という言葉を好んで使っている。
そして「国酔」ともじれるwwwwwwww

三島由紀夫先生も「愛国」という言葉は好きでなかったようだ。

「官製のいやなことば」だからだそうだ。
そして「愛」とはキリスト教からきた言葉である。
キリスト教の「愛」は無限定無条件なのだ。
「人類愛」という言葉は認めるが「愛国心」というのがどうも引っかかる。
なぜなら愛国心は「他の国ではなく、自分の国のみを愛する」からだ。
…と、言うことらしい。

「愛国心」と言うからには「すべての国を愛する」ぐらいでなきゃいかんのだろう、多分。



そりゃまぁともかく、話を戻すと、「自己愛」から一足飛びに「国家愛」になるという一節は印象的であったのだ。
「自己愛」と「国家愛」… ま さ に 「ナショナルシスト」 !!!!!

ただし、私は自分の周囲への愛を忘れたことはない。少なくともそのつもり。
神靖乱会でも兼ねてより「愛を与えよ!」などと言ってきた。主に代表が…だけど。

それと、ブログタイトルの下に「自己と自国に誇りを持て!」とあるが、これは別におかしいとは思わない。
むしろ「他者に誇りを持つ」ほうがおかしいだろう?
そりゃ、父母であれ故郷であれにも、ある種の誇りを持つのは当然なのだが…

まぁ…いつものアレだ…
語呂がいいからwwwwwwwwww



結びに、鈴木邦男先生はこんなことをおっしゃている。
藤原正彦氏が「祖国愛」という言葉を提唱しているが、「愛国心」という言葉はそのまま使い続けたほうがいい。
「日の丸」「君が代」も変えないほうがいい。
過去の戦争を断絶したものにさせないためだ。暗い歴史も覚えておくべき。
愛国心は国民一人一人が胸の中に秘めておくもの。どうしても言う必要がある時は、小声でそっと言ったらいい。
…と。



なんだかんだで「愛国」という言葉が再び好きになってしまったかもしれない、ほんのちょっとだけ。

本書の意図とは異なるだろうが、読者とは常にそういうものである。

『はちみつとクローバー』の長沢チャンが作者の意図に反して人気が出てしまったように…

・・・あ、分かんねッスかwwwwwサーセンwwwwwwww

Appendix

プロフィール

ナショナルシスト

Author:ナショナルシスト
神靖乱会陶酔局長ナショナルシスト。
語源はナショナリスト(Nationalist:国粋主義者)にしてナルシシスト(Narcissist:自己陶酔者)から。
略称は「なちょ」。
基本思想は「ナショナルシズム」。

国語家。専攻は国語学(日本語学)。
教育系。使命は左巻きの教育界を本来あるべき中立にすること。

祖国と軍歌をこよなく愛する自己陶酔症患者。重症。入院させてください。
反省できない社会のクズ。
進軍あるのみ退路なし。
かへりみはせじ、陶酔行進曲。

コメント不可は仕様です。
御意見は最下段のメールから。

スーツ(街宣活動用)


隊服(抗議活動用)


ブログ内検索

全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

メール

名前:
メールアドレス:
件名:
本文: